自分の人生を生きる、とはどういうことか。自己中心的や自分勝手に生きることとはどう違うの?

こんにちは~。うわあ、12月ですね。びっくり!
占い師の浅野輝子(あさのてるこ)です。

さて、突然ですが、あなたは人生の何%が自分のもので、何%が人のための割合だと思いますか?
きっと色々な答えがあるでしょうね。

もうひとつ質問。
あなたは、先ほどの問いに対して出した自身の答えに納得していますか?

人生における、“自分の人生の割合”に満足している?

うーん、難しいですよね。私もその時々の気分で返答が変わってしまいそうです。
そんなあやふやな! ……って、いいんですいいんです。心はたゆたう水のようなものですから。

それよりも、先ほどの質問を胸に問いかけてみて、あなた自身の中でどのような感情が動いたかがとても重要です。
スーンと受け流せた人もいれば、落胆や悲しみ、怒りに近い感情に触れた人もいるかもしれません。
なぜ感情が動いたのだろう? 気持ちに余裕がある時に、向き合ってみましょうね。

さて、私は『自分の人生を生きるためのタロット』と銘を打ってみなさまからの相談を受けていますが、もしこれを昔の自分が聞いたら「そんなこと言って大丈夫? 自分の人生を生きるってとても自分勝手で自己中心的な宣言なのでは」と、ビビりそうだな……とかねてから思っておりました。

そこで今日は『自分の人生を生きる』とはどういうことなのか、現時点での私の考えをお話したいと思います。

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Dreaming Way Tarot / Rome Choi(Author), Kwon Shina(Illust) ©2012 U.S. Games Systems, Inc.
※タロットの初めのカードである『大アルカナ0番 FOOL』は究極の自由のカードです。まさに自分の人生を生きている、という感じのするカードですね。

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人は一人では生きられない 私たちは相互的に支え合って生きている

私たちは誰しも一人では生きられません。
相互的に関わり、手を伸ばし支えあって暮らしています。

直接誰かと関わらなくても、病院で保険が効くということ、信号の整備された横断歩道を安全に渡れることなど全てそうです。

税や保険のそもそもを考えると、余裕のある人から徴収して、形を変え、困っている人に分配される制度ですよね。

“誰かのために”は余力の範囲で

人と人の関わりにおいても、余裕のある人が余力の範囲で手を差し伸べるのが理想です。

そして、自分の状態を見つめ、“誰かの為に”を余力の範囲に収めるよううまくコントロールすることが、『自分自身の人生を生きる』ためのコツだと私は考えています。
これがなー、難しいんだよな~!

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余力の範囲を超えて他人に尽くすとどうなるのか

余力の範囲を超える、とは自己防衛ラインを破り、自分の人生を誰かに譲ってしまうということです。
すると、苦しい、しんどい、自分の時間が無い、自由が効かない、という思いが芽生えます。
この状態が続くと自身の人生が脅かされるので『悲しみ』や『怒り』といった感情に繋がります。

余力の範囲を超えてしまう時には二つのパターンがあります。

■相手発信
・自分自身の心が満たされていない、または自分で納得していないのに、相手からの強制力が働き、コントロールを受けている

■自分発信
・自分自身の心が満たされていないのに見捨てられ不安から尽くしてしまう
→『認めてほしい』『愛してほしい』など、自分の望む結果を引き出したくて相手に働きかけてしまっている

・自分自身の心が満たされていないのに義務感から尽くしてしまう
→相手から自分への強制力が働いている
→成長過程で培われた価値観(過去の自分)から今の自分への強制力が働いている

もちろんそうなってしまう過程、心の状態には相手、自分、ケースごとに違った理由がありますので丁寧な対応が必要ですが、上記のパターンをシンプルに眺めると、相手発信の場合も自分発信の場合も、誰かが誰かを自分の思い通りにしようとしているという点で共通しています。

んんんんんん????

「自分の思い通りにしようとしている」?????

これってまさに表題にある『自己中心的』や『自分勝手』を言い換えた言葉ではないでしょうか。

自分の人生を生きることは『自分勝手』や『自己中心的』ではない

「もっともっと。あなたにはこうしてほしい。こうであってほしい」と要求し、思い通りにしようとすると、関わる誰かが余力の範囲を超え人生をすり減らしてしまいます。

要求を持つこと自体は、ありのままの自分の気持ちですから悪いことではありません。
しかし、相手にお願いして、それが通らなかったときは「あなたはあなた、わたしはわたしだものね」と認めて、相手の領域を侵そうとしないことが大切です。

また、『認めてほしい』『愛してほしい』など、自分の望む結果を引き出したくて相手に働きかけてしまっている場合や、成長過程で培われた価値観(過去の自分)から今の自分への強制力が働いて他人に尽くしてしまっている場合は、相手よりもむしろ自分を大切にすることが苦しさから解放されるための第一歩ではないでしょうか。

あなたはあなた、わたしはわたし。
自分の人生を生きることは、『自分勝手』で『自己中心的』なことではありません。
むしろそれらを抑止する力になります。

お互いの考えや感じ方、生き方の違いを受け止め、尊重し合う。
自分で選び、行動する。
自分の感情に責任を持つ。

これが私の考える『自分の人生を生きる』ということです。

さて、ここまで読んで、「私の身近なあの人は、そう思わないと主張しそうだなあ」と想像した人もいるかもしれません。
そうですね。そういう人もいます。居ていいんです。人は変わってゆくものですから、これからの道のりの中で考えが変化してゆくのかもしれないし、そのままかもしれない。
いずれにせよ、今このとき折り合わないのなら、相手の考えや行動を無理に改めさせようとしないことが大切です。
もしもその人の要求によってあなたが自分の人生を生きられなくなるなら、勇気をもって一時的に離れるという選択肢を持ちましょう。

胸が痛み、とても一人では取り組めないなら、ひとりで頑張らなくてもいいんですよ。
信頼できるお友達に話を聞いてもらったり、街の占い師でもカウンセラーでも浅野輝子でもなんでもいいから、あなたが心を許せそうな人の手を借りてくださいね。

みんなが心からの笑顔で過ごせますように。
浅野輝子でした。

傷ついたときもひとりじゃないよ。

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